俺が通っていた商業高校の修学旅行は、奈良と京都で2泊ずつした。

ちなみに俺が通っていた高校は、ほぼ女子高みたいなモノだった。今では男子生徒も多くなったけど、当時は他の学年には何人かの男子生徒がいたが、俺の学年では男子は自分1人だけだった。

正確には入試や合格発表の時にはもう1人男子がいたのだが、辞退して他の高校に行ってしまったのだ。こう書くと「ラノベのハーレムみたいでいいなあ」と言われそうだが、決してそういう事はなく、むしろ蛇の生殺し状態だった。

休み時間や授業中のパンチラやブラチラは日常茶飯事。特に夏になると、人目も気にせずにスカートをバタバタと煽ったり、ブラウスの第3ボタンあたりまではずして、俺に面白半分で見せびらかす様な女子さえいた。

普段の会話でも「ねえナプキン貸してぇ」とか、「せめて男子がいる前ではアレって言えよなあ」と、聞いているこっちが恥ずかしくなる様な言葉が毎日、機関銃の様に俺を襲った。

よくネットで同様の体験談があると思うけど、女の怖さと無駄に結束力が高いことで、不信になる奴もいるくらい。もちろん、女子3人で会話してて1人が消えた瞬間そいつの悪口言う漫画みたいな場面も目撃した。

だから他の学年は少ない男子同士で集まってしまう。だけど、俺の学年は男子は俺1人ぼっちだったので、周りに溶け込んだりしてるうちに、次第に慣れてしまった。

修学旅行に話を戻すけど、旅行で特にホテルでの俺は4日間VIP待遇だった。男性用の大浴場は、俺だけの完全貸切、食事も、旅行会社が考えたのだろうか、女子生徒と一緒に大広間ではなく、先生達と一緒に別室で食べた。

後で知ったのだが、先生と生徒とでは夕食の内容が極端に違っていたそうだ。先生の食事には、初日は活造りの舟盛が出たし、後日食べたすき焼きの肉も霜降りの和牛肉が出た。

当然、ビール等も出るのだが、俺は黙認するから飲めと言われて、ある程度の遠慮をしながらも飲んだ。まあ、厳しくしている女子の手前、先生も強制的には飲ませなかった。(それでもいけないことだと思うのだが)。 

当然、夜は個室で寝る事になった。奈良では、文字通りの離れで寝たのだが、共学校みたく女子の部屋へ夜這いに行くわけにもいかなかった。生徒が女子だけでも、先生の監視は厳しかったらしい。

だからと言って、長い渡り廊下を介して俺の部屋とは反対側にある添乗員の部屋にも行けず悶々としていた夜の12時過ぎ、ドアをノックする音がした。

俺は見回りの先生でも来たかなと思ってドアを開けると、そこには浴衣と丹前を着た旅行会社の添乗員の律子さんがいた。律子さんは、この高校の卒業生で入社4年目の22歳、背が高く色白で明るい、ポニーテールの似合う女性だった。

昼間バスで移動する時の座席も、当然のように一番先頭の窓際で、隣に律子さんが座っていた。いつもの修学旅行ならば、ベテランの男性社員が添乗するらしい。

だけど、今回は事実上の女子高ということや、経験を積ませると意味も込めて律子さんに白羽の矢が立ったみたい。律子さんにとって、大人数の旅行の添乗は初めてということもあり、移動の車内ではいつも会社の資料ばかり見ていた。だから、せっかく隣に座っても、話らしい話は出来なかった。

部屋に乱入してきた律子さんは、俺の顔を見ると「昼間はお話が出来なくてごめんね。私、初めての添乗だから、書類ばかり見ていてとてもそんな余裕なかったの」と言った。

俺は「別にいいですよ。忙しそうだったし、邪魔するのも悪いかなと思ってましたから」と答えた。すると、律子さんは「ねえ、今退屈してない?」と言ってきた。当たり前の話だが、手元に資料があるので、俺がここにいることは知っている。

すぐに律子さんの意図が読めたが、下心を出してはマズイと思い、「まあ、誰も喋る相手がいないし、見たいテレビ番組もないので、退屈と言えば退屈ですが・・・」と答えた。

律子さんは「そうでしょ。私も退屈してたの。ねえ、先生は来ないだろうから、部屋に入ってもいい?」と言ってきた。幸いな事に、この離れと女子や先生が寝ていた本館は大分離れていた。

加えて、俺は一応、模範生だったし、この旅行の後、生徒会長に推薦された。先生の方でも「男子が1人では、問題を起こしはしないだろう」と信じきっていた。だからかどうかは知らないが、4日間を通じて見回りには1回も来なかった。

俺は律子さんを部屋に入れるとカギをかけ、背後に立って浴衣の合わせ目から手を差し込み、ノーブラの胸を揉んだ。雑誌でしか見たことのない様な大きさの胸を触ったこともあり、俺のチンポはすぐに直立した。

律子さんも、最初からそのつもりで部屋に来たので、全く抵抗しなかった。そして、お酒くさい律子さんの唇に俺の唇を重ねた。

律子さんはヤケ気味に「生徒は女ばっかりだし、先生は先生で今頃盛り上がってるし、誰も私のこと相手にしてくれないんだから」と言って舌を絡めてきた。

これが男性の添乗員ならば「一緒にお酒をどうぞ」とかなるのだろうが、今回は22歳の女性が添乗、しかも初めてということで、乾杯の後、すぐに「先にお休みになって下さい」と言われて追い出されたそうだ。

律子さんは「今夜は一緒に過ごそうね」と言って、自ら全裸になった。律子さんは、俗に言う着やせするタイプで、服の上からでは想像できない程胸が大きかった。マンコの毛は茶色っぽく、中身はサーモンピンクをベースに茶色と紫を少し混ぜた様な感じだった。

真珠の玉の様なクリトリスを弾くと「いやあーん、律子さんの一番感じるトコなのよぉ」と、愛液を溢しながら悶えた。俺も全裸になってチンポをしゃぶらせた。律子さんは、まるで風俗嬢の様なテクニックで嬉しそうにしゃぶってくれた。

冗談交じりで「フーゾクにでも勤めた事あるの?」と聞いたら、律子さんは「やあねえ、高校出てすぐ旅行会社へ入ったんだから、そんな訳ないでしょ」と、ちょっと不機嫌そうに言った。でも、その表情は嬉しそうだった。

勿論、その巨乳で男の子の願望のパイズリもしてもらった。律子さんの方も、相手になった男からはやって欲しいと言われていたみたいだったので上手だった。

そして、ぐっしょりと濡れた律子さんのマンコに俺のチンポをぶち込んだ。お互い、妊娠が怖かったので、律子さんが用意したゴム付きだったが・・・。律子さんは声にならない声を出してよがり、それが一層俺を興奮させた。

2回戦を終えた後、律子さんが「私の部屋に来てみて」と、自分の部屋へ俺を連れて行った。部屋に俺を入れると「壁に耳を当ててごらん」と言ったので、その通りにした。すると、微かではあるが女の喘ぎ声が聞こえた。

「えっ、まさか・・・」と囁くと、律子さんが「外に出て、覗いてごらん」と言った。言われるがままに外に出て隣の部屋を覗くと、閉ざされたカーテンの隙間から、夕方迄一緒だったバスガイドと運転手が5人ずつ 計10人が、乱交パーティーをしているのが見えた。

特に俺のクラスのバスに乗った、清楚な感じのバスガイドの由紀さんが、浴衣をはだけてほの赤い素肌を晒して運転手の上に跨って喘ぐ姿に、目が釘付けになった。

他のバスガイドも、運転手に組み敷かれたりバックで突かれたりして喘ぎまくっていた。それでいて、翌日には何事もなかったかの様に平然と乗務をこなすのだから、別の意味でのプロなんだろうと思った。

律子さんは「凄いでしょ・・・。私の部屋、隣で静かだからどうしても声が聞こえちゃうのよ。でも仲間には入れないし、誘ってもくれないの・・・。それで我慢できなくなったから、俺君を誘ったの」と言った。

勢いに飲まれて、この後もう1発ヤッテしまった。翌日、よっぽど由紀さんに夕べの事を言おうかと思ったが、律子さんが「私だけの俺君でいて」と言うので、言わないことにした。

もしも「夕べ、見ちゃったよ」とか言っていたら、また違う展開になっていたかもしれない。ちなみにこの乱交パーティーは2日目の夜も行われていた。

そして律子さんと俺は、昼間でも離れられない関係になってしまった。でも、先生に気付かれたら困るし、相変わらず律子さんは資料と格闘しているので、バスの中で軽くお尻を触るくらいにした。律子さんも欲求不満だったので、気付かれない様に黙って触らせてくれた。

3日と4日目に泊まった京都のホテルでは、最上階の個室になった。部屋は律子さんと同じ階だったが、廊下の端と端に離ればなれになった。しかし、その間にある客室は空室になっていた。

後で1校だけの貸切だったが人数が定員に満たなかったのでと、律子さんから話を聞いた。本来ならば、そこに先生が陣取ればいいのかもしれないが、ホテルの構造の関係や、部屋を見回り易くする為に、そんな部屋割りになったらしい。

旅行のしおりには部屋割りのページがあるのだが、奈良や京都共に各階に先生の部屋があった。「まるで刑務所かナースステーションだね」と、律子さんと笑いあった。

勿論、俺の部屋や律子さんの部屋も印刷されていたが、遠く離れていたので誰もセックスをしていたとは想像していないだろう。京都での食事は、奈良とは違って各部屋への部屋出しだったのだが、俺は奈良と同じく先生や律子さんと一緒に食べた。

京都のホテルに入る前には「同じ階だからと言って、間違っても手を出さない様に」と担任にクギを刺されたがもう遅い。仮に奈良での出来事がなかったとしても、同じ階になった以上やるなと言う方が無理だった。

しかも、最上階は2人だけの貸切状態で、最初からそんな話を聞くつもりもなかった。律子さんだって、旅行会社の添乗員という特権を使って、カギのかかった空室を開けさせることまで考えていた。

いずれにしても奈良と同様、堂々と夜を共にした。4日間でセックスを覚えたてのガキみたにやりまくった。それでも、誰も俺達の関係に気付く人はいなかったのだから、この高校の先生は一体どうなっているんだろうと思ったりもした。

4日目の修学旅行最後の夜は、律子さんも俺も先生の部屋に呼ばれ、皆で大宴会となった。俺は最後の夜だから飲めと言われ付き合わされた。

普段はガードが非常に厳しい簿記の美佐子先生や家庭科の久美先生は、酒の勢いからスカートの奥を見せまくっていた。結局その晩は、3時頃まで大騒ぎしたと思う。内心「先生も大変なんだな」と思った。

結局旅行中、一緒に寝たのは全て律子さんの部屋で、明け方には自分の部屋に戻った。その理由だが、もし何か用事があって先生が部屋に来た時に、添乗員の律子さんがいないのはマズかった。

でも、女性の部屋なので、ノックもせずにいきなり入ってくることは絶対にない。誰かが来ても、律子さんが時間稼ぎをしている間に、俺がベランダやトイレに隠れればいいのである。

それに女性の部屋だから、そこまで家捜しする事もない。当時携帯がない時代だったので、こういうホテルの場合、添乗員が寝る部屋には電話があり、用がある時は電話で連絡する事になっていた。

そんな緊急事態が起こる事は稀だし、先生は俺を信用しきっているから大丈夫だと言う読みもあった。これが今だったら、そうはいかないと思う。

そして最終日の朝、律子さんは「ねえ、旅行が終わってからも会ってくれる?」と俺に言ってきた。修学旅行の間だけと思っていた俺は、予想もしなかった告白に二日酔いも加わって、ボーッとしていてすぐに答えが出せなかった。

そうしたら律子さんは「やっぱり年上よりも同級生の方がいいか」と言った。俺は「そんなことないよ・・・」と答えた。すると律子さんは驚いた顔をして「そうなの?じゃあ、付き合ってくれるの?」と言った。

俺は「うん」とだけ答えた。やはり、律子さんのカラダを忘れることが出来なかった。

結果として、出会いから4回目の秋に結婚、今は3人の子供と共に暮らしている。結婚式では、仲人を務めた担任が「まさか、お前達が結婚するとは思わなかった」と驚いていた。

余談だが、私の担任は高校時代の律子さんを受け持った事があったそうだ。律子さんの話では、男女を問わず「添乗員」が修学旅行なら引率の先生と関係やお客と不倫、まれに結婚する事も珍しくないそうだ。

今回の修学旅行では、相手は「先生」ではなく「生徒」だったが・・・。実際、同僚の多くは、自分が添乗した旅行で知り合った人と結婚しているという。

宿舎の構造や生徒の構成という「特殊な条件」が重なったにせよ、今まで書いた中でどれか1つでも違っていたら、今の夫婦関係はなかったかもしれない。律子さんもそう思っている。

そしてこの秋には、子供達も連れて「思い出の地」へ行く計画も立てている。

こんな駄文に付き合ってくれた方々、本当に有難う。